お笑い芸人 ホーキング青山が戸惑う「障害者への過剰な気遣い」とは?

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障害者でもあるお笑い芸人ホーキング青山さん。

障害者として日々生活をしていると「過剰に気を遣われていると感じることがある」と執筆した本に綴っています。

どういうことなのでしょうか?
そして健常者はどうすればいいのか…?

さっそくみていきましょう↓

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過剰な気遣い



1.電動車椅子を押す

「たとえば街中を電動車イスで走っているだけで、突然『押しましょうか?』と言われることがあります。親切なのはわかるのですが、電動ですから押していただく必要はありません。多分、下手に押されたらかえって危険です(笑)」(本人)

確かにw
気を遣いたくなるのは分かりますが、危ないですのでやめましょう!

2.珈琲を注文したら「賄いおにぎり」もついてきた

ネタや原稿を書くために喫茶店へ入った青山さん。

ですが、そこでも「過剰な気遣い」を受けることがあるといいます。

とりあえずコーヒーを注文すると「これよかったら食べて」と賄い用のオニギリを出されたりするそう(゚д゚)!

「これもご親切はありがたいのですが、お腹が減っていないのにオニギリは要らないです。コーヒーにも合わないですし。何か食べたければ自分で注文します。」と青山さん。

ごもっともです!

3.更にその先に別の展開が待っていることも

時にはその先にも展開が…!

店を出ようとお金を払おうとすると、店員さんに「あなたからお金なんか取れない!」と拒否されて、そのまま外に出されそうになったことも。

「いやそれじゃあいくらなんでも申し訳ないですし、それに何よりコーヒー1杯飲めないほど金に困っていませんから」

そう言って代金を受け取ってもらったのはいいものの、相手がガッカリしているように見えたという。
代金を払ったほうがガッカリされるというのも理不尽な話ですが、こういう経験は珍しくないそう。

相手からしてみれば「気持ち」なのでしょうが、そう受け取れない気遣いだと戸惑いますね。

4.友達と駅で待ち合わせをしていたらオバサンから突然お捻り

    
以前、青山さんが友達と池袋の駅で待ち合わせをしていた時のこと。

遠くから小走りで見知らぬおばさんが駆け寄って来て、いきなり胸ぐらを掴んできました。

「やられる…!」と思い、とっさに目を閉じて歯を食いしばったら、次の瞬間「何も言わずに持って行って!」と叫びながら、胸元に1000円札を入れておばさんは立ち去っていきました。

友達は「臨時収入じゃん!」と喜んでいましたが…。

何が起こるかわからないご時世というのもありますし、有難い気持ち反面、複雑な気持ちにもなってしまいますね。

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ある駅員さんが抱いていた障害者への悪イメージ

一時期、とある駅を定期的に使わなければならないことがあったそう。

しかし、そこの駅員の感じがものすごく悪くて。
困惑もしたし、気分も良くなかったですが、青山さんは、お礼だけは言ってその場を去りました。

その後もいささか憂鬱な気持ちでその駅員とは顔を合わせ、世話になったお礼だけは口にするようにしていたところ、出会って3カ月ほど経ったときに、こんなことを言われたといいます。

「あなたは明るいね。いつもかけてくれるお礼の言葉を聞いてれば声でわかる。前にこの駅に来てた車イスの人はまあ横柄でこっちが手を貸そうが何をしようが何も言わない。それは別に仕事だから良いけど、ある時世間話でもしてみようかと思って「こちらに来られるのは仕事か何かですか?」って聞いたら「この駅に車イスで来るのは仕事じゃなきゃダメなのか!?」っていきなり凄まれちゃって。あまりにも感じが悪くて正直嫌いでした。でその後今度はあなたが来られてまたおんなじような人だったら嫌だな、とずっと思ってたんですけど、いい人で良かった」(駅員)



わだかまりの原因がわかった青山さんは、自分には責任は無いものの、なぜかその駅員に謝っていた。
「車イスで来て、お世話になっているのに感じが悪くて申し訳ないです。すみません」

その後、この駅員と青山さんはすっかり打ち解け、他の駅に異動になるまで親しくしたといいます。
正解は存在しないかもしれないですが、このエピソードは一つの道を示唆しているのかもしれない、と青山さんは語ります。

「障害者(やその支援者)が往々にして、わりと強硬な態度に出る心理は理解できなくはないんですが。駅員さんに毒づいた奴は論外でしょう。私個人は、とにかく障害者と健常者の接点が増えること、そこでお互いに常識に基づいたコミュニケーションを取ることで理解が進んでいくと考えています。互いにわからないことは率直に聞きあう。無駄に忖度しないほうがいいと思います」(本人)


最後に

青山さんが仰るとおり、障害者、健常者関係なく「互いに常識に基づいたコミュニケーション」を取り合う事は大切なことですし、歩み寄りのきっかけにもなる気がします。

きっと、強硬な態度をとっていた障害者は「お前なんかにわかるものか…!」という気持ちがあったのではないでしょうか。
どちらも強硬な態度では何も生まれませんよね。

「歩み寄れる方が一歩歩み寄ってみる」

そんな気持ちが生まれるともっと理解も広がり、共存社会への第一歩に繋がっていくのではないでしょうか。

また「過剰な気遣い」ではなく、一歩引いて、困っているような様子があれば手を差し伸べてみるとか、気持ちを察することが出来なければ直接聞いてみる、というのが大切なのかな、と感じました(^^)

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